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母の生の言葉を

2011年09月05日 03:27

母がブログを始めました。

今まではコメントという形で母の言葉を届けてくれていましたが、

ついに本当に生の言葉を、母から、母のステージで、お届けする場ができました。

うちがカミングアウトをするたび、多くの人が興味を持ち質問してくれたのが、「両親の反応」でした。

それはうちの言葉では伝えきれず、またうちの言葉よりも母の言葉を直に聞いて欲しい、

そう思っていましたが、なかなかそういう場も機会もありませんでした。

今回、うちの彼女のアイディアから、こうしてブログを立ち上げることになりました。

もちろん同性愛の娘を持つ母としての一面もありますが、

それ以上に母も自分らしく、自分の好きなようにそのブログを使ってくれればと、

子どもながらに、生意気にも、そう思います。

にほんブログ村の村人となりましたので、

ぜひ探して頂けたらと思います。

ここからリンクしないのは、「うちの母として」だけではなく、

一ブログとして見て、感じて欲しいからです。

なので、お手数をおかけしますが、自分の足で運んで頂けたらと思います。

ちなみにあえてブログ名を言わないのは、

ただその方が楽しんでもらえるだろうと思うからです。

「ウォーリーを探せ!」的な感じのって、なんかわくわくするでしょ(笑)

ってわけで・・・、

母を探せ!in にほんブログ村
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母共々、これからもよろしくお願いします。



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停滞の中に感じる波

2011年08月17日 14:37

彼女という存在ができると、

そして自分も彼女もオープンな場合に限るけど、

カミングアウトを自分からわざわざするのが不自然に感じる。

彼女もうちも、

誰とでも話せるような性格な上に、

お互い会わせたい人が何人もいるものだから、

よくどちらかの友達や後輩を家に招き、

お酒を飲みつつつまみつつ、話をしたりします。

「家で一緒にご飯食べようよ。」

と誘っている時点で、

「同性愛なんです」という言葉は全く無意味で。

「今度連れてきてよ。」

と言ってる時点で、

「彼女なんです」という立場の表明は不要で。

彼女の存在とうちの存在があるだけで、

直接会ったときにはもう「カミングアウト」というのはとうに終わってる。

だから相変わらずこちらのブログは停滞中。

書いていないところですごく人の輪は広がっているのだけど、

あまりに自然すぎて書くことができない。

不自然に感じるから。

でもね、大丈夫です。

書くに値するものが間もなくきます(笑)

秋は活動の時期。

なんかそんな気がする。



ご報告

2011年06月20日 13:27

同性愛をこんなにもオープンにしているのに、

誰も声をかけてくれないという事実を笑っていましたが、

ついに彼女ができました。

出会いを逃さずに済んだのも、

臆病にならずに済んだのも、

自分自身のことを話し続けた一つの結果のように思います。

カミングアウトをする切り口として、いつも夢を語っていました。

夢というものがうちを守ってくれました。

でもこれからはまた新たな切り口が加わるのだろうと思います。

これからはうちが守る側。

彼女を傷つけないように。

彼女が不利益を被らないように。

本当にその力がうちにあるのかは定かじゃないけど、

大切な人を大切にする、

その気持ちを忘れなければきっと大丈夫なはず。

嘘はつきたくない。

だから口を紡ぐときはあるだろうけど、誠実であろうと思います。

「彼氏はいるんですか?」

と聞かれたら、うちはこれから笑顔でこう答えよう。

「彼女がいます。」


新聞掲載

2011年02月16日 20:27

2月1日の取材が、朝日新聞にて掲載されました。

関西では2月12日(土)の夕刊に。

関東では2月14日(月)の夕刊に。

当初は奈良版に載るか載らないかという感じでしたが、

このように多くの方に読んで頂けることになり、

大変嬉しく思っております。

・・・ってかしこまっていうとただの挨拶みたいで嫌なので、

素直に言葉にしちゃうとですね、

「やったったぞーーーーー!!!」

って両手を空いっぱいに広げて叫びたい気分です。

まずは、新聞記者の方に心から感謝。

そして、今まで関わってくれた多くの方に感謝です。

そうそう、新聞には写真が載ってますが、

確認されたときにうちからお願いしました。

「ぜひ、顔を出してください」と。

ちなみにジャージなのはわざとですよ(笑)

ほら、これ着てたらブログ見たことある人だったらぴんとくるでしょ?

本名も顔も今や大公開ですねー。

それがね、嬉しいんです。

うち、こうやって生きてくって決めたからさ。

リアルなうちで生きてくよ。


「偏見」という「亡霊」

2011年01月30日 00:27

うちね、多くの人に話してきて気づいたのね。

“偏見”ってもはや“亡霊”なんじゃないかって。

話を聞いた人がよく口にするのが

「私は偏見とかないよ」

「僕は偏見ないし」

「個人的には偏見はありませんが」

そりゃもうすごい確率で言われるの。

うち以外の人でカミングアウトをしている人からも、

同じような体験を聞く。

「こんなもんかって思うよね」

「そんなもんだよ」

もちろん怖さや緊張があるからこそ出る言葉なんだけど。

うちからしたらもう個人の範囲を超えてるのね。

むしろ偏見を持ってる人の方が

「個人的には偏見あるから」

って言う方が自然なんじゃないかってうちは思う。

それでも今なお偏見があるって多くの人が思うのは、

「偏見がある」っていう思い込みがあるから。

個人単位では偏見を持ってない人が多いのに、

テレビでは同性愛の気配を感じれば、

嫌悪の反応を見せたり、笑いのネタにされてしまう。

そうやって思い込みをまた再生産させていくわけ。

そんな瞬間を画面越しに見るうちには、もはや現実味がないのね。

現実を自分で体験してきたうちには。

でも相変わらずリアルに結びついてる人って少ないもんだから

みんなそれがリアルだと思っちゃうんだろうね。

「やっぱり今も同性愛だとこんな反応されるんだろうな」って。

そうやって亡霊は存在し続けてる。

そんな亡霊をね、誰かが供養していかないと。

いつまでも恐れてたら、いつまでもこの社会に居続けてしまうから。

とは言っても、中には生霊もいるだろうな。

まだ出会ったことはないんだけど。

もし出会ったときには・・・とりあえず叫んでみようか。

「キャーーーーーッ」って。

いや、無理だな。

うちはそんなに可愛く叫べないっての(笑)

さて、どうやったら葬ることができるかな。

どうやったら、この現実を一般化できるのかな。





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