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「偏見」という「亡霊」

2011年01月30日 00:27

うちね、多くの人に話してきて気づいたのね。

“偏見”ってもはや“亡霊”なんじゃないかって。

話を聞いた人がよく口にするのが

「私は偏見とかないよ」

「僕は偏見ないし」

「個人的には偏見はありませんが」

そりゃもうすごい確率で言われるの。

うち以外の人でカミングアウトをしている人からも、

同じような体験を聞く。

「こんなもんかって思うよね」

「そんなもんだよ」

もちろん怖さや緊張があるからこそ出る言葉なんだけど。

うちからしたらもう個人の範囲を超えてるのね。

むしろ偏見を持ってる人の方が

「個人的には偏見あるから」

って言う方が自然なんじゃないかってうちは思う。

それでも今なお偏見があるって多くの人が思うのは、

「偏見がある」っていう思い込みがあるから。

個人単位では偏見を持ってない人が多いのに、

テレビでは同性愛の気配を感じれば、

嫌悪の反応を見せたり、笑いのネタにされてしまう。

そうやって思い込みをまた再生産させていくわけ。

そんな瞬間を画面越しに見るうちには、もはや現実味がないのね。

現実を自分で体験してきたうちには。

でも相変わらずリアルに結びついてる人って少ないもんだから

みんなそれがリアルだと思っちゃうんだろうね。

「やっぱり今も同性愛だとこんな反応されるんだろうな」って。

そうやって亡霊は存在し続けてる。

そんな亡霊をね、誰かが供養していかないと。

いつまでも恐れてたら、いつまでもこの社会に居続けてしまうから。

とは言っても、中には生霊もいるだろうな。

まだ出会ったことはないんだけど。

もし出会ったときには・・・とりあえず叫んでみようか。

「キャーーーーーッ」って。

いや、無理だな。

うちはそんなに可愛く叫べないっての(笑)

さて、どうやったら葬ることができるかな。

どうやったら、この現実を一般化できるのかな。


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