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5月16日(日) 会いたかった人へ3

2010年05月16日 21:15

今日はブログで知り合った方と奈良にて初対面。 わざわざ奈良に来て頂きました。

自分のことを話すのは何度もしてきましたが、話す内容や言葉というのは、

当たり前ですが毎回違うものになります。 自分でも気づくくらいに。

それは相手が違うこともありますが、同時に自分も変化していっているのだと思います。

「あめ」というのは一人です。 でも、うちが感じるあめと誰かが感じるあめは違う。

そしてその誰かと、また別の誰かとはまた違う。 つまり一人として同じ「あめ」はいない。

いくらうちが一人でも、相手の数ほどうちは存在するんじゃないかと。

それってもしかしたら性についても言えることなのかもしれないと思いました。

うちの女性的なところに着目した場合と、男性的なところに着目した場合では、

全く違うものに見えるでしょう。 でもそこを一致させたいとはうちは思いません。

好きなように、好きなところを見てくださいと、そう思える自分でいたいと思います。

ただ、「あめ」というものがその底辺になければ受け入れられないかもしれないけど。

・・・とそんなことを今日話していて考えました。

性の多様性というのは一人一人の性、

男の人、女の人、男だけど女の人、女だけど男の人、どちらでもない人、どちらでもある人、

そういった、人の数ほど性があるという意味だけではなく、

その一人の人のなかにも、男女という2つの要素が複雑に絡まり合った形で存在しているという、

そういう多様性も含んでいるのではないかと思います。

そもそもその要素が2つだけなのか、というところもまた疑問視できるかもしれませんが・・・。

だからね、いつも思うんですが、それが自分ならそれでいいんです。

無理する必要もなければ、隠す必要もないんです。 本当は。 本当はね。

男が女を好きになるということは受け入れられ、

女が女を好きになるということに受け入れられない、

という考えがあるとしたとき、

自分がある人を好きになるということと、

自分がまた別の人を好きになるということに対してはどう思うんだろう。

そこを受け入れられない人はいるんだろうか。

つまり集団で見るんじゃなくて個人で見てみたら、

なんか違って見えてくるんじゃないかと、うちはそう思うわけです。

誰を好きになるかが自由なように、どの性を好きになるかもまた自由。

好きな人を愛したらいいじゃん、ってつまりそういうこと。


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コメント

  1. りょう | URL | atML5B8U

    Re: 5月16日(日) 会いたかった人へ3

    今日はありがとね。
    楽しい時間を過ごせて嬉しかったです。

    知りあって2週間も経ってないかな。
    でも会ったらそんなこと関係なかった。
    ブログの一読者のままじゃなくて、
    直接コンタクトをとろうと思った自分をほめたいわ(笑

    感想でいいのかなー?

    んーと、「思い立ったら即行動」っていうのと「じっくり考える」っていうのが共存してるあめは素敵な人だなぁと思いました。

    うちはどちらかというと「石橋を叩きすぎて壊してしまう」から。
    慎重になりすぎて一歩が踏み出せない。

    たくさんたくさん考えて「よし、やろう!」と思えたら
    それが実行できるように段階を踏んでトライしてみるあめはかっこいいよ。
    すごく魅力的です。

    あとね、「行動することの中に考えることも入ってる」って言ったのも印象的やった。
    行動することと考えることは対立っていうか相反するものだと思ってたのね。
    行動が「動」なら、考えるは「静」みたいな。
    でも考えてる間も止まってるんじゃなくて動いてるんだよね。
    視点が変わった気がする。
     
    うまいこと言われへんのが歯がゆいなぁ…。
    解釈が間違っとるかもしれんけど、そんなときは遠慮なくつっこんでやってください。

    できればまた会ってしゃべりたいです!

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