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6月23日(水) 「ジェンダー論」の受講者へ

2010年06月23日 15:19

毎週水曜日にある「ジェンダー論」の授業。

すでに教授には『5月19日(水) 「ジェンダー論」の先生へ』にあるように、

ゴーイングアウトしたのですが、そのときもう一人の受講者さんはいなかったんですね。

あ、ちなみに受講者は自分合わせて2名です(笑) 毎回教授の研究室でやってます(笑)

今日のテーマが「セクシュアリティとジェンダー」というところだったので、

もろに同性愛を扱う授業内容でした。 教授がもう一人の受講者さんに質問をします。

「あなたはこういうの受け入れられる?」

「はい、受け入れられると思います。」

それを第三者となって聞いている自分。 その後も同性愛に関する質問が続きます。

それでも静かに聞いている自分。 いつも同性愛者であることを話してから色んな人の考えを聞くので、

あえて黙ることでありのままの意見が聞けるんじゃないかと思いました。

「同性のがわかり合えるってのはあるんでしょうね。 勝てない気がします(笑)」

とこれまた教授のときにも耳にした言葉が並びました。

ははは、と一緒に笑ってたら今度はうちの方を振り向く教授。

「あなたはどう?受け入れられる?」と笑顔で質問を投げかける。

「・・・てか、本人なんです(笑)」ともう一人の受講者さんの目を見て打ち明ける。

あ、という反応をみせる受講者さん。 ふふふ、と笑ううち。

その後は授業に戻ります。 ただ、やっぱり当事者がいるというせいか、

言葉一つ一つが選ばれている気がしました。 気がしただけかもしれませんが。

傷つくわけもなければ、腫れものにさわるようにされたくもない。

率直な意見を聞きたいから、オブラートに包まずに話して欲しい。

教授も受講者さんも、偏見もなければ差別もないことはわかっていたから。

それがあれば、言葉一つで「痛っ」ってなることなんてありません。

ってかもしそうなったら、そんな自分は「弱っ」ってなるだけです。

あー・・・まただ。

ブログ読んでて違和感を感じてる人も出てきてるんじゃないかな。

「あめ自身もそういうふうに見てるような感じがするんだけど」と。

「同性愛者を悲観的に見られたくない」「苦悩が多いと思われたくない」

と思うのは、あめがそう思ってるからなんじゃないかと。

うちもよく感じます。 いつの間にか“内面化”されてるんです。

悔しいことに。 染みついてるんです。 この脳に。 その真偽に関わらず。

あるものをみたとき、そうみえるのはそう自分がみているから。

そうみている自分がいるから。

もし同性愛があまりに自然なことだと自分が心底思っていたら、

おそらく疑問に思うこともなければ問題提起する必要もない。

でもうちはそうじゃない。 だからうちはうち自身とも向き合わなければならないし、

うちの脳に染みついた考えに気づかなければならない。

それはときに自分をも否定するようなことだったりするけど、

それがなければだめなことはわかってる。

うちの中にあるいくつもの矛盾。 それをうちはコントロールしなきゃいけない。

そうすれば、きっと矛盾の中にも筋は通せる。

“矛盾”も“あいまい”も、大事なのははっきりと整理することじゃない。

その雑多な状態を許せるような、その雑多な状態に耐えられるような自分であること、

だとうちは思います。


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